日日是好日、日々新しく

昨日の良きこと

麦二郎
麦二郎

久しぶりに北鎌倉の円覚寺を歩いたことです。
直近で鎌倉へ出掛けたのは、3月15日のことでしたから、2か月以上経っています。その時は鶴岡八幡宮にお詣りしたので、円覚寺ではありませんでした。
円覚寺に行ったのは、去年の11月14日のことでした。池にカワセミが居るのを見つけ、何枚も写真を撮ったことを思い出します。

その時はカワセミが妙香池に居るのを見つけて写真を撮っていたら、大方丈の方の池の畔の木に止まったので、こんな写真を撮りました。

私が円覚寺に行きたくなる時は、心がざわざわして何だか良くない兆候だなと思った時です。
前日から行こうと思っていました。心がざわついている時、円覚寺の整った(きれいに掃除がほどこされている)境内を歩くと、不思議と心は落ち着いているのです。
境内が自然の中にあって、都会の喧噪とは違った空気が流れているからだと思います。

総門を入り、山門が目に入った時、心がだんだん落ち着いてきていることを感じます。
久々に来て良かったと思うのです。
総門を入ると、外とは違った空気を感じます。
ちょうど前の晩に変な怒りを感じていて、それを引き摺っていました。その前からざわざわ、ざらざらした心になっていた気がします。それが少々爆発してしまった感じがしていました。

本殿で手を合わせ、選仏場の観音様に手を合わせ、そして居士林へ続く石段の前に立ったら、心がすっかり落ち着いた気がしてきました。
この緑が良いのでしょうか。
それとも開門時間を狙って入った境内が、まだ人が少なくとても静かなせいでしょうか。
風の音が聞こえ、鳥達の囀りが聞こえます。
表現は難しいですが、浮ついた空気感がなく、すべてがあるべきところにどっしりと腰を据えているかのような、落ち着いた空気感なのです。

昨日は、この妙香池には、カワセミは来てませんでした。
身近なところにカワセミが居ることを知ったのは、この池で見かけるようになった頃でしょうか。
その頃は橫浜の西の端、栄区に住んでいて、近くを流れる小さな川でもカワセミを良く見かけました。
昨日、この池の畔を歩いている時に、そんなことを思い出していました。

円覚寺の谷戸の一番奥に位置するのが、黄梅院です。
ここのお庭には、四季折々の花が咲きます。
この季節だと紫陽花やドクダミの花でしょうか。八重のドクダミの花が見られるのも、ここのお庭です。
門を入ってどん詰まりまで行くと、観音様の像があります。その前で手を合わせました。

円覚寺は、塔頭と呼ばれる寺院がいくつもあり、それらを含めて円覚寺となっています。
塔頭の中には、非公開のものも沢山あります。
ある時期だけ公開しているものもあります。
円覚寺を全て知ることはできないのかも知れません。円覚寺は、1日歩いただけでは足りないくらい、鎌倉で一二を争う大きなお寺なんです。

どっしりとした山門の前のベンチに腰掛けて、しばらくの間山門を眺めていました。
鎌倉歩きを再開したいと思いました。
まん延防止措置下ではありますが、ストレスフルな制限された中ですから、こういうお寺を歩いて心を調節することは、とても大事だと思いました。
鎌倉歩きを本格的に再開できるのは、いつのことなんでしょうか。
いろいろな制限は、きっとまだまだ続くのでしょう。そんな中でも、全て出掛けることが悪いことではなく、こうして心を整えに来ることは、かなり重要なんだろうと思いました。

円覚寺を1時間半くらい歩き回ってみて、この先一つだけしか実行できないとすると、何が一番やりたいことなんだろうかと思いましたが、今は断言できます。
今この時にだけ、心を集中させることです。過去も未来も変えられないものです。変えられるのは、今この時だけなんです。

麦二郎
日々

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