
北条義時法華堂跡から鎌倉宮へ
11月27日に鎌倉へ行って来ました。
鎌倉のことは、鎌倉のブログに書こうと思っていたのですが、記事が沢山ストックできるまでは、このブログに書くことにしました。
鎌倉のブログを立ち上げた時には、それなりに記事の数があって、いろんなお寺や神社、お店などの情報が沢山載っているものにしたいと考え直しました。
そして、「WordPress」に関する知識をもっとつけて、サイトデザインも少しは凝ったものにしたいと考えたのです。
前置きが長くなりそうですが、少しだけ僕と鎌倉のことを書きます。
2009年春に仕事の関係で、鎌倉のお隣の橫浜市栄区に引っ越しました。それを契機に鎌倉歩きを始めました。歩けば大船に行ける位置で、北鎌倉なら頑張れば歩いて行けます。
鎌倉に近いところに住むことができたので、鎌倉を歩いてみようと思いました。
それ以降、数えてみると鎌倉を訪れた回数は170回ほどになりました。
僕は鎌倉が大好きな人なのです。
茅ヶ崎に住み始めて、徐々に鎌倉を訪れる回数は減ったのですが、それでも2か月に1回くらいは行ってたかも知れません。
お正月は必ず鎌倉宮にお詣りしていました。

そんな中、コロナ禍で鎌倉に行かなくなってしまいました。
まだ継続しているコロナ禍ですが、そろそろ鎌倉歩きを再開しようかなと思うようになりました。
お正月のお詣りも去年は喪中で控えましたが、今年は再開する予定です。
鎌倉に関する情報発信を再開して、それをライフワークにできたら良いなと考えるようになりました。
鎌倉宮を訪れたこの日は、ランチがメインの目的でした。
鎌倉で有名な天ぷら屋さんの「天ぷら ひろみ」さんを訪れるためです。
「天ぷら ひろみ」にお邪魔した時の記事は、別に書きたいと思っています。
開店時間の少し前に鎌倉に着き、ランチをゆっくり食べて、鎌倉宮まで散策しました。

まず立ち寄ったのは、「鎌倉殿の13人」の主役北条義時の墓がある場所です。
以前にも訪れたことがある場所ですが、ちょっと寂しい場所です。
ところが一変していました。以前とは違って大勢の方が訪れていたからです。


石段を上ると、少し広くなった平場があります。
この場所に北条義時法華堂があったとされています。
源頼朝の墓がある場所の東に位置します。
この平場の脇には、宝治合戦で北条時頼に攻められ自害した三浦氏が供養されていると言われるやぐらもあります。
この平場から更に石段を上ったところに、3つのやぐらがあります。
中央が大江広元の墓とされ、その子の毛利季光(中国地方毛利氏の祖と言われる)の墓が左側にあり、右側は頼朝の子と言われ後の島津氏の祖である島津忠久の墓が並んでいます。

北条義時法華堂跡を出て、山沿いの小路を行くと、鎌倉宮の鳥居前に出ます。
白い鳥居が目印の鎌倉宮は、明治天皇が創建した大塔宮護良親王を祭神とする神社です。
護良親王は、鎌倉幕府を倒すことに努力し、建武の新政で征夷大将軍となった人物です。
鎌倉は、狭いところにいろいろな史蹟があるところなのです。
鎌倉散策の楽しみの一つです。

鎌倉宮には、このような獅子頭があります。
護良親王が御守りにされていたのが、獅子頭とのことで、そのため鎌倉宮には獅子頭の御守りもあります。
トップの写真にあった手水舎にも沢山の獅子頭がありました。
毎年お正月、獅子頭のついた破魔矢をいただくのが、我が家の恒例になっています。

ちょうど鎌倉宮も紅葉が綺麗な時期になっていました。
鎌倉は場所によっては、12月でも紅葉が残っているところもあり、比較的紅葉のシーズンは遅いのですが、鎌倉宮は見頃を迎えていました。
境内奥の本殿裏には、ちょっとした散策路があり、そちらも紅葉が綺麗です。
護良親王が捕らえられていた土牢もあり、有料になっています。
この日はお詣りだけして、帰りました。

鎌倉宮を出て、段葛まで戻って来ました。
秋の日の良いお天気の鎌倉散策でした。
これを書いた今日は、「鎌倉殿の13人」の最終回が放送されます。
今まさに放送されていますが、後で録画を観ることにしています。
とても面白い大河ドラマで、久々に1年間楽しませていただきました。
さて、どんな最終回になっているでしょうか。