ていねいに生きる

麦二郎
麦二郎

常日頃「ていねいに生きる」ことを考えています。
いつも頭の中にあるわけじゃなく、ついつい雑になってしまったり、手を抜いてしまったりすることもあります。
「ていねいに生きる」ということを考えつつも、実際にどうすることが「ていねいに生きる」ことかを知らない気がします。

漢字で書くと、「丁寧」です。ネット(weblio)で調べてみると、「細かい部分に注意や気配りが行き届いているさま」、「入念に丹精込めて行うさま」、「礼儀に則り折り目正しく振る舞うさま」と書かれています。主に動作や態度、表現などを形容することばのようです。
語源は、もともと鉦(かね)の別名だそうで、軍隊が哨戒に使ったことから、注意が行き届いていることを「丁寧」と呼ぶようになったという逸話もあるそうです。
いろいろな使いかたがあって、「ていねいな接客」と言うと、ホスピタリティの豊かさを示しているとされています。
いろいろな使いかたの共通点は、「心構え」に込められたていねいさを評しているようです。

では、「ていねいに生きる」とは、具体的にどういうことか。
なかなか難しい命題だと思いつつ、漠然と「ていねいに生きる」ことを目標にしていたと感じます。

そして、この前の土曜日のこと、バスの中で『和尚さんの一分で心を整えることば』という本を読んでいて、出逢いました。

どうすれば「ていねいに生きられるか」ということですが、和尚さんは「かけがえのなさ」と「いとおしさ」を感じないと人は「ていねいに生きられない」という結論に達したということでした。
「この機会は二度とないかもしれない」「あと何回これができるだろう」と、数多ある縁がたまたま揃い今こうしていることに気づけば、「いとおしさ」がわいてきて、この「かけがえのない」ひとときを大切にしようと思うようになりますと、書かれていました。

何だかわかった気がしました。
僕たちが生きている瞬間は、今この一瞬しかありません。過ぎたことは「過去」になり、「未来」に存在するかどうかはわかりません。
今この一瞬を「かけがえのない」そして「いとおしい」ものと感じられたら、それが「ていねいに生きる」ということではないか。そのことに気づいたのでした。

麦二郎
思い

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