『まる ありがとう』養老孟司

No.1684 2022年3月27日読了

養老先生の愛猫「まる」が亡くなったのは、2020年12月21日頃のこと。
家にも「まる」と同じスコティッシュ・フォールドが居て、名前は「むぎ」と言います。
我が家にやって来たのは、2019年2月のことだから、3歳になったところです。

我が家には犬も居て、こちらはそれなりのお年寄りで、11歳になったところです。
名前は「ふたば」、犬種はパピヨンです。
今の家に引っ越して来て、飼い始めたわんこです。
「むぎ」を飼い始めた理由は、「ふたば」がだんだん歳を取ってきたからです。犬や猫は人間よりも寿命が短く、先に死んでしまうと言うことを常に意識しています。
「ふたば」が死んで「ペットロス」になるショックを和らげるために「むぎ」を飼い始めたのです。
でも、決して「ふたば」の代わりが「むぎ」にできるわけではなく、その逆もあり得ません。
どちらも、かけがえのない存在なのです。

この本には「まる」の思い出の写真が沢山掲載されています。
そして「まる」の「死」や「生き方」に関する文章が掲載されています。
動物と一緒に暮らしているとどうしても生き物の命が限られているということを意識します。
そのことが人間の命も限られているのだということの意識にも繋がっています。とても若い人だと実感は亡いでしょうが、仕事の引退が近い年齢になると、意識せざるを得ません。
身近な人だって亡くっていて、僕にはもう両親はこの世に居ません。

禅語が好きなので、「知足」という言葉は知っていました。
「知足安分」と言うべきでしょうか。要するに現在の境遇を自分に見合ったものと考えれば、日々心安らかに暮らすことができるという考え方です。
この本では、「自足」という言葉で表現しています。自ら満足するということです。
「まる」の生き方もこれに近いものではなかったかと言うことが書かれています。
「自分は自分である」と徹底して生きられたら、社会の煩わしさから解放されてどんなに気が楽になるか、そういう部分でふとあることに気付きました。

仕事をしていると求められるのは、「もっともっと」と言うことです。
「知足」とか「自足」の真逆なことが求められます。
仕事で求められているので、毎日「足りない」ことを意識して、「もっともっと」やろうとします。
そのことをいつの間にかプライベートにも持ち込んでしまうのです。
今日みたいな休日でも、いつの間にか時間が足りないくらい、いろいろなことをやらなくてはと思ったりしています。

なので、やりたいことを絞ることにしました。
今日やりたいことは、近所の桜の様子を見に行って、人の少ない場所に腰掛けてビールを飲むことです。
今日はこれだけできれば、それで十分だと思うことにしました。
できたら仕事でもそんなふうに考えたいと思います。今日は一つだけ、でも質の高い仕事をしよう、そう思って実行して行けば、きっと多くを望むよりも結果が得られるのではないかと思います。
手帳には、その日にやりたいことを仕事で一つ、プライベートで一つ、これを原則にしたいと思います。

これがこの本の感想と言うのは変かも知れませんが、そんな思いになりました。
そして、養老先生の本をもう少し読んでみたいと思っていました。

麦二郎

コメントを残す