あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問

投稿者: | 2013年3月22日

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

人生は長いようで、とても短くて、どんな人にも平等に必ずやって来るのが「死」という終わりだということ。このことは、決して新しい発見でもなくて、むしろいろんな人によって語り尽くされていることです。それでも、『あした死ぬかもよ?』のような本を見かけるとついつい買ってしまうのは、普段は「死」ということを忘れがちだから、時々思い出して意識しようとしているからなのでしょう。

去年の終わりに父が肺炎を患い、年明けに入院し、十二指腸潰瘍による出血で瀕死の状態に陥るということがありました。母は二度入院したことがあるものの、大事には至らなかったのですが、幸いにも父が健康で今まで大きな病気はしなかったので、こういう事態を想定したことのない毎日でした。幸いにも父は約2か月で無事退院したのですが、死と生の境目の瀕死の状態にも立ち会い、改めて「死」というものは案外身近にあるというか、自分自身にとってもかけ離れたものではないことを実感しました。

帰省していた時によく本屋さんにも立ち寄って、その時にこの本を見つけました。帰省中には買わなかったのですが、近いうちに読むだろうと思っていましたが、さっそく先日購入し、今日読み始めて一気に読み終えました。

タイトルや本の帯を見れば、この本の内容は言わずもがなですから、特に内容には触れません。切り口や視点は違っていても、同じような本は沢山出ていると思います。要するに、人間必ずいつか死ぬのだから、その時が来て後悔しないよう自分自身が本当にやりたいことをやろう、毎日を大切に生きよう、という本なのです。

この本を読んでみて、二つほど難しいなあと思ったことがあります。一つは、「死」というある意味嫌なことを四六時中忘れないで向き合うことは、とても難しいということです。だから自然に、いつの間にか、忘れてしまっているのです。決して人生は無限に続くと思っているわけじゃないですが、期限があるということを意識していない状態が普通の状態になっているのです。

二つ目の難しさですが、明日死ぬと仮定して、今日本当にやりたいことは何かということです。それが本当にやりたいことなのかどうか、やりたいことはこれだと断定することが難しいと思うのです。その時々やその時の環境によって変わるかも知れませんし、回りに影響されないほどのやりたいことを確信するのは、とても難しいと思うのです。

いずれにしても、「あした死ぬかもしれない」という現実と向き合わない限り答えも見つからないわけで、やってみなくてはわからないということもあると思います。四六時中は無理にしても、時々「あした死ぬかもしれない」ということを思い出して、考えてみることが必要かなと思うのです。そういう意味でも、この本はしばらくの間本棚に保管しておくことにしたいと思っています。
(36冊目/2013年)


↑↓この記事良いなと思ってくださったらポチッとお願いします!
ブログランキング・にほんブログ村へ 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


*

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.