何も持たず存在するということ

投稿者: | 2011年11月9日

『何も持たず存在するということ』角田光代

「へらへらした大人」は、各々の分野で名を成していて、名を成していることに無自覚で威張っていなくて、酒をよく飲む。どうでもいいような話しかしなくて、どんなに幼い意見であろうと、人の言葉を頭から否定しない。大仰さがまるでない人だ。

帯のコピーに惹かれて買ったわけではなく、むしろ買って初めてこの帯を見た。帯のエッセイがどこに載っているか、なんて全然気にしていなかったけれど、最後から3つ目のエッセイだった。ちなみにこの本のタイトルになっているエッセイは、最後のエッセイだ。

何も持たず存在するということ』は、読み終わってみると、まさに角田光代さんのエッセイという感じで、読み応えがあった。角田光代さんのエッセイなんだから、当たり前なんだけど、そんな感じがした。角田さんのエッセイは、とても面白い。大笑いする面白さではなく、「くすっ」と隠れて笑ってしまいそうなエッセイだ。そう思ったら、最後の方で「うーん」とこれもこっそり唸りそうな名言も飛び出す。格好良い名言ではなく、もっと身近な名言である。例えば、引用した「何になりたいか、の先に」というエッセイでは、最後はこんなふうな言葉で終わっている。

「何になりたいか、ではなく、どうなりたいか、そう考えるようになれたことは、私のささやかな成長である。」とこういうのが良いのである。
(128冊目/2011年)


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